2016年11月 祈祷会・教会学校 聖書箇所 11/13日 ダニエル書3章13-30節「燃え盛る炉の中で」
総合テーマ 神の御心に忠実に生きる
黙想のポイント
・今回の場面にはダニエルことベルテシャツアルは登場しません。後の三人の仲間ハナンヤ=シャドラク、ミシャエル=メシャク、アザルヤ=アベド・ネゴが神にどのように忠実に従って生きていたかが語られます。異教社会の中にあって、信仰者として生き抜く姿に学びましょう。
◆燃え盛る炉に投げ込まれた三人
あらすじ)バビロンの王様ネブカドネツァル王は高さ六十アンマ(約27m)、幅は六アンマ(2.7m)の金の像を建て、「もし音楽と共にひれ伏して拝まない者は、直ちに燃え盛る炉に投げ込まれると」言うお触れを出した。それが実行に移された時、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人が命令に違反して拝まなかったことが告げ口されたのであった…。
3:13 これを聞いたネブカドネツァル王は怒りに燃え、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを連れて来るよう命じ、この三人は王の前に引き出された。
3:14 王は彼らに言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、お前たちがわたしの神に仕えず、わたしの建てた金の像を拝まないというのは本当か。
3:15 今、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器の音楽が聞こえると同時にひれ伏し、わたしの建てた金の像を拝むつもりでいるなら、それでよい。もしも拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか。」
3:16 シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。
>>>三人が言いたかったこととは、「この定めについて理解した上で、それで命を落とすようなことになったとしても、申し開きをして命乞いをしようとは思いません。」という意味だと考えられます。そして、彼らはその理由を語り出します。
3:17 わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。
3:18 そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」
>>>彼らが命掛けで信じているイスラエルの神以外に自分たちは拝んだり、それに仕えることは決してしないことを宣言します。このような覚悟で日々私たちは聖書の神を信じて生きることができるでしょうか。
3:19 ネブカドネツァル王はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じた。
3:20 そして兵士の中でも特に強い者に命じて、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを縛り上げ、燃え盛る炉に投げ込ませた。
3:21 彼らは上着、下着、帽子、その他の衣服を着けたまま縛られ、燃え盛る炉に投げ込まれた。
3:22 王の命令は厳しく、炉は激しく燃え上がっていたので、噴き出る炎はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴを引いて行った男たちをさえ焼き殺した。
>>>彼らを炉の中に連れて行った男たちが先に焼け死ぬほど、炉の火は強烈だったことが語られます。
3:23 シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は縛られたまま燃え盛る炉の中に落ち込んで行った。
3:24 間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。」彼らは答えた。「王様、そのとおりでございます。」
3:25 王は言った。「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」
>>>彼らの中に神の子が見えたと言います。主イエス・キリストを象徴するような表現です。
3:26 ネブカドネツァル王は燃え盛る炉の口に近づいて呼びかけた。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、いと高き神に仕える人々よ、出て来なさい。」すると、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは炉の中から出て来た。
3:27 総督、執政官、地方長官、王の側近たちは集まって三人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火のにおいすらなかった。
>>>神の御業は徹底していました。単に彼らが焼け死ななかっただけでなく、一切の害を衣服さえも被らなかったし、臭いさえも付かない完ぺきな守りが彼らにあったことが語られます。神に従う者に神が与えることのできる保護の徹底さが示されています。もちろん、この出来事はすべてのクリスチャンがこのような神の奇跡的なご加護を受けることを保証するものではありません。日本においても踏絵を拒否して磔にされて殉教をした人も多く存在します。今回の場合は、シャドラクたちの神への一途な信仰姿勢が王を動かし、やがてイスラエルの民の帰還許可と神殿と城壁の再建許可をすることにつながっていくものとして神が導かれた出来事だと考えられます。
3:28 ネブカドネツァル王は言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。
3:29 わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」
3:30 こうして王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州で高い位につけた。
>>>信仰に基づく犠牲を覚悟の上での彼らの行動により、結果的にイスラエルの神は王の信頼を得、それ以降、イスラエルの神は特別丁重に扱われるようになりました。彼らの信仰姿勢が王様に聖書の神に対して今まで以上に信頼させることになったと言えます。
分かち合いのポイント
今回は聖書教育誌の少年少女科の「活動」の個所をもとに分かち合ってみてはいかがでしょうか…
・初詣や法事、スポーツチームの必勝祈願や会社の神棚への商売繁盛祈願など、日本では家族や社会の営みに宗教が深く関わっています。習慣として神々を拝むことが強制されるとしたなら、私たちはどのような態度を示す必要があるでしょうか。3人は「まことの神さま以外に礼拝をしない」と宣言することによって何を大切にしたのでしょうか。
・3人が金の像を拝むことを拒否し、信仰を貫いたときに、周囲からどんな声が注がれるか考えて見ましょう。かたくな過ぎる、立派だ、波風を立てるこまり者だ、形だけでも従えばいいのに…など。その上で、私たちの「証し」について考えてみよう。
<参考>
◆燃え盛る炉に投げ込まれた三人
3:1 ネブカドネツァル王は一つの金の像を造った。高さは六十アンマ、幅は六アンマで、これをバビロン州のドラという平野に建てた。
3:2 ネブカドネツァル王は人を遣わして、総督、執政官、地方長官、参議官、財務官、司法官、保安官、その他諸州の高官たちを集め、自分の建てた像の除幕式に参列させることにした。
3:3 総督、執政官、地方長官、参議官、財務官、司法官、保安官、その他諸州の高官たちはその王の建てた像の除幕式に集まり、像の前に立ち並んだ。
3:4 伝令は力を込めて叫んだ。「諸国、諸族、諸言語の人々よ、あなたたちに告げる。
3:5 角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器による音楽が聞こえたなら、ネブカドネツァル王の建てられた金の像の前にひれ伏して拝め。
3:6 ひれ伏して拝まない者は、直ちに燃え盛る炉に投げ込まれる。」
3:7 それで、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴の音楽が聞こえてくると、諸国、諸族、諸言語の人々は皆ひれ伏し、ネブカドネツァル王の建てた金の像を拝んだ。
3:8 さてこのとき、何人かのカルデア人がユダヤ人を中傷しようと進み出て、
3:9 ネブカドネツァル王にこう言った。「王様がとこしえまでも生き永らえられますように。
3:10 御命令によりますと、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器の音楽が聞こえたなら、だれでも金の像にひれ伏して拝め、ということでした。
3:11 そうしなければ、燃え盛る炉に投げ込まれるはずです。
3:12 バビロン州には、その行政をお任せになっているユダヤ人シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人がおりますが、この人々は御命令を無視して、王様の神に仕えず、お建てになった金の像を拝もうとしません。」