マルコによる福音書6:6b-13
主イエスは「付近の村を巡り歩いてお教えになった」(6節b)とその活動の形態が記されているように、いわゆる「巡回伝道者」であった。「狐には穴があり、鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(マタイ8:20)と言われた通り、 定住の場を持たず、福音宣教の働きに専心された。その内容は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)というメッセージに尽きる。主イエスは、当時のユダヤ社会において周辺に追いやられた人たちに近づき、癒し、交わりを持ち、食事を共にされた。そしてまた違う町に出て行かれたのである。
主イエスは、ご自身が選ばれた弟子たちと共に福音宣教の働きに出てゆかれた。「十二人を呼び寄せ」(7節)たのは、 彼らをご自身のもとにおき、共に生活し行動するためであった。そのような生活の中で、彼らは主イエスの語られる福音と教えに身近に触れることができ、やがて相応しい時が来ると、働きのために派遣されていった。彼らは何か独自の教えではなく、あくまでも主イエスの教えを宣べ伝える者として、主イエスにより遣わされていったのである。
主イエスと同じように巡回伝道の働きに赴く際、主イエスは彼らを「二人ずつ組にして」(7節)送り出された。最初期のキリスト教会においても、人々は伝道の働きに出かけて行く際にチームを組んでいる。ペトロとヨハネ(使徒3:1〜)、パウロとバルナバ(使徒11:25〜)、バルナバとマルコ(使徒15:39)、パウロとシラス、テモテ(使徒15:40〜、16:1〜)ほか、使徒言行録にはその様子が詳細に記されており、巡回伝道の働きが十二使徒に限定されていなかったことが分かる。彼らは恐らく互いに助け合い励まし合いながら、困難な巡回伝道の働きに立たされていったことであろう。当時、町から町までの距離は遠く、独りで旅を続けるのは大変危険なことであった。
パウロはエルサレムに赴く際、方々のキリスト者の家(「家の教会」とも言われることがある)に立ち寄り、宿泊しながらその旅を続けた(使徒21:1〜)。当時の巡回伝道のスタイルとしては、ある町に入った際、「これ」と思い定めた家に入り、しばらくの間そこを拠点としながら活動し、また移っていくのが常であった。当時も貧富の差が激しかったため、伝道者たちは旅人の宿泊が可能であるような家を探すのである。
当時はユダヤ以外の地域にも、「ディアスポラ(原義:「撒き散らされた者」)」と呼ばれるユダヤ人の共同体が存在した。そこでは会堂を中心とした町づくりがなされており、パウロなどはそのような地域に入っていくと、まずそういう会堂に入って教え、そこで出会った人に泊めてもらったようである。その人の屋敷がコの字型の建物と中庭を備えていれば、そこでの集会や宿泊が可能になる。「旅人をもてなす」ということはユダヤ人社会の義務であり、また徳として尊ばれる行いであったため、伝道者たちは各地で喜んで住宅を提供する人々に出会うことができたのであろう。伝道者たちはそのような家を拠点にして福音を宣べ伝え、その家の人が悔い改めてキリスト者となったら、そこが「家の教会」となった。無論、伝道者たちを宿泊させ、身近にその教えを聞いても、それを受け入れない人もいた。その際、伝道者たちはそこから出ていくのみであった。
信じる者たちが新たに起こされていく時、そこには大小様々の共同体が形成された。その群れがある程度の大きさになると、そこには「長老」と呼ばれる「群れの責任者、世話人」が立てられた。彼らは専任職としてではない形で群れの世話をした。ユダヤ教の会堂でいえば「会堂長」のような役割である。そこには様々な巡回伝道者たちが立ち寄り、その都度説教のつとめを担っていった。
主イエスの働きを継承した巡回伝道者たちは、肉親と離れて身軽になってその働きに赴くことが多かった。そして、出かけていった先で出会うキリスト者たちによる「感謝の献げもの」で生活の資や巡回伝道の諸経費をまかなった。当時は人々が色々なものを求めていた時代であったため、巡回伝道者たちの語る福音は多くのところで聞かれ、受け入れられ、数々の「家の教会」が形成されていった。
十二人の弟子たちを送り出す際に、主イエスは「旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように」「下着は二枚着てはならない」(8-9節)と命じられた。ルカによる福音書の並行記事では「杖」も持たないように命じられているが(ルカ9:3)、ここでは単純に「何を持参して良いか、悪いか」ということではなく、「必要なものは神が備えて下さるので、神に信頼して、福音宣教の働きに出て行きなさい」という教えと励ましが語られている。「伝道者なのだから、持物は何も必要ない」「伝道者たる者、清貧、禁欲に生きなければならない」という戒めではなく、「神への絶対信頼のもとで福音宣教の働きに出ていく」ことが命じられているのである。パウロは生活のために自分の職業を持っていた(使徒18:3)が、同時に信徒たちの「感謝の献げもの」は喜んで受けた(cf. フィリピ4:10-20)。伝道者に必要なことは「生活費を必要としてはいけない」「清貧でなければならない」ということではない。伝道者はただそこで「神に信頼して生活するのか、そうでないのか」ということを問われる。伝道者にまず必要なものは「召命感」であり、それが与えられているなら、兼職しようがしまいが、どちらでも良いのである。
前述の通り、当時も貧富の差が激しい世界であり、「富める者」に対する批判もあった。この箇所は「神の支配があり、この世だけが全てではない」という生き方をも指し示している。この世の富に執着するのではなく 神の御心に従って生きる、それが「悔い改め」である。それは「自己中心な生き方の否定」でもあり、誰にでもできることではない厳しさが伴う。しかし、いつの時代も伝道者たちは社会の中で「神の栄光のために生きよ」「悔い改めよ」という福音を語り継ぐのである。