マルコによる福音書5:21-43
本日の箇所には二つの物語が含まれており、両者は共通のテーマを持つ。聖書のどのテキストもそうであるが、それは「主イエスの言葉を聞く」ということである。主イエスの語られた言葉が、聖書を通して今、我々にも語られている。「信仰」とは「自らの宗教感情の高揚」ではなく、今も生きる主イエスの言葉を聞き、救い・平安・希望をそこから頂いていく「主イエスとの交わり」である。物語に登場する「会堂長」(22節)も「女」(25節)も、それぞれに切羽詰まった状況に置かれていた。その二人が主イエスに出会い癒しにあずかった。我々は単なる「奇跡信仰」という側面ではなく、「二人の人が主イエスの言葉により生かされたこと」に目を向けつつこの箇所を読みたい。
主イエスは弟子たちを伴い「ゲラサ人の地方」(5:1)に渡られたが、そこから「舟に乗って再び向こう岸に渡られ」(21節)、カファルナウムと推定されるユダヤ人の地域に来られた。そして「会堂長の一人でヤイロという名の人」(22節)が主イエスのもとにやってきた。ユダヤ社会では安息日ごとに会堂(シナゴーグ)で礼拝が行われるが、「会堂長」は礼拝を含め会堂を司る職務であった。礼拝では聖書が朗読されるが、会堂に専任の教師がいるのではなく、会堂長や律法学者などがその都度聖書を朗読し解き明かす務めを担った。主イエスも指名されて聖書を朗読し解き明かすことがあった(マタイ4:23など)。そのため、会堂長ヤイロは主イエスのことをよく知っていたのかも知れない。「会堂」はユダヤ社会における宗教生活と社会生活の中心として重要な場であった。ヤイロは、そのような場所の「長」を務めていたほどであるから、人望も宗教的知識も備えた人物だったことであろう。そのような人が、切羽詰まった時に主イエスのもとに来て、「足もとにひれ伏して、しきりに願った。『わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう』」(22-23節)。
そこで主イエスはヤイロの家に向かわれたが、「大勢の群衆もイエスに従い、押し迫って来た」(24節)。人々は主イエスのみわざに驚き、その教えに感嘆し、主イエスを追いかけてきたのである。主イエスは「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれて」、主イエスの憐れみに縋って生きていこうとする人々を「深く憐れまれた」(マタイ9:36)。
さて、そこに一人の女性が登場する。彼女は「十二年間も出血の止まらない」(25節)という慢性疾患に苦しめられていた。主イエスが「娘よ」(34節)と語りかけておられるくらいだから、まだ若く、本来ならば生き生きと社会の中で楽しく生きていくはずの女性であっただろう。「治りたい」という願いを持って様々な治療に挑戦したにもかかわらず、「多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった」(26節)。当時のユダヤ社会において、この種の病は「汚れ」と結びつけられるため(cf. レビ15:25-)、彼女は社会生活の中で遠ざけられ、忌避される存在となってしまった。病気の苦しみに加え、社会における人々との交わりが絶たれ、孤立と差別の苦しみも受けていたというこの女性の切羽詰まった状況が読み取れる。彼女もまた、「主イエスのもとに行けば何とかなる」という希望を抱いた。しかし、「汚れた者」と見なされている自分は、正面から主イエスのもとへ行くことができない。それゆえ彼女は「群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた」(27節)のである。
「この方の服にでも触れればいやしていただける」(28節)という発想は、ある意味で迷信的なものかも知れない。しかし注目すべきは「女性が主イエスに触れ病気が癒された」ことであり、更に、それで終わりではなく、主イエスが彼女と対面することを願われたことである。彼女は主イエスの促しに応え、主イエスに向き合い「すべてをありのまま話した」(33節)。すると主イエスは「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」(34節)と言葉をかけて送り出された。このことが「主イエスの救い」である。病の癒し以上に、主イエスと彼女との間に「人格的対話」が生まれることが大切だったのである。我々は主イエスとの関わりの中で祝福の言葉に生かされて生きることが大切であり、主イエスの祝福を受けることこそ真の救いであるということを、聖書は語る。彼女の主イエスに対する信仰を肯定して送り出す、この言葉こそ、彼女を真に救う言葉であった。切羽詰まった中でただひたすら主イエスを頼る思いは、主イエスと向き合う中で、主イエスの言葉への信仰へと変えられていったのである。
そして、もう一つの物語が動き出す。会堂長ヤイロの家に向かう途中、今のような別件が入ったため、時間を取られ、その間にヤイロの娘は亡くなってしまった。「もう、先生を煩わすには及ばないでしょう」(35節)という人々の言葉は、「もうイエスさまは必要ありません」という思いの表れである。それを聞いておられた主イエスは、「恐れることはない。ただ信じなさい」(36節)と言われた。主イエスは「何」を「恐れるな」とおっしゃったのであろうか。このような場面なら「悲しむな」という語りかけのほうが相応しいのではなかろうか。主イエスは「死ねばそれで終わりだ、誰に願ってもしょうがない」という、全てを否定し、無にし、役立たなくさせる「死」の前で「恐れるな」とおっしゃったのである。主イエスにとって、肉体の「死」は「終わり」ではない。「死」の彼方から到来する「救い」を、主イエスは表わそうとされたのである。
一行がヤイロの家に着くと、人々は「大声で泣きわめいて騒いで」(38節)いた。当時のユダヤには葬儀にいわゆる「泣き女」が来て、遺族の悲しみを共にする習慣があったようで、死者が出た家庭は泣きわめく声でいっぱいになるのである。すると主イエスは「子供は死んだのではない。眠っているのだ」(39節)とおっしゃり、人々はそれを聞いて「あざ笑った」(40節)。「死で全ては終わりだ」と思う人々にとって、この主イエスの言葉は「弔いを前にして何と場違いな言葉なのか」というようにしか響かない。しかし主イエスは「復活の救いをもたらされる主」として、「死の彼方から来られた方」として語られている。主イエスによって、肉体の死を超えた新しい世界がもたらされる。そしてその日に死者は眠りから呼び覚まされる。「死は眠りである」ということは、主イエスの復活の光のもとでしか受け止めることができない。ヤイロの娘の身に起きた出来事も、人々が主イエスの復活の光の中でそれを受け止めない限り、その意味を理解することはできないし、むしろ誤解を与えかねない。それゆえ、主イエスは「このことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ」(43節)られたのである。
「復活」「永遠のいのち」というテーマは、現代人には抵抗があるかも知れない。これらのテーマを考える時に重要なのは、「我々が今、生かされているところで神との交わりを持つ」ことである。神の交わりの中に生かされる者は、既に死からいのちへ移されている。主イエスとの交わりに生きることこそ、永遠の命を得ることである。主イエスの言葉を聞き、自らの思いを打ち明け、主イエスの言葉に応答し、従っていくという、主イエスとの人格的交わり、神との関係を問う宗教がキリスト教である。そして、このような交わりの絶たれることが聖書の語る「滅び」である。神に背き、神との交わりから離れたゆえに、本来ならば我々が身に受けなければならない「滅び」を、主イエスが十字架で引き受けてくださった。それゆえ、我々はそのままで神のもとに進み出ることができる。主イエスの贖いの死と復活を信じる信仰のみによって、神の前で赦され、やがて来る日には御国で目覚めさせて頂くことができるのである。
人々の嘲笑を聞き流してヤイロの娘のところに来られた主イエスは、その手を取って「タリタ、クム」(41節)と言われた。新約聖書はそのほとんどが「コイネー」と呼ばれる当時共通語として用いられていたギリシャ語で書かれているが、セリフの部分は主イエスや弟子たちが日常使っていたと考えられている「アラム語」で書かれていることがある。この「タリタ、クム」もその一例である。この言葉を聞いていた弟子たちの心の中に、主イエスの言葉がそのまま響いていたのであろう。そして、主イエスの死と復活の後に、弟子たちはこの「タリタ、クム」の本当の意味を理解した。我々も主イエスの言葉を聞く時、その意味が「今すぐ分かる」ということはないかも知れない。しかし、その意味が本当に自分の中に響いてくる時が与えられるのではなかろうか。